こんにちは。事務所は小さくても夢だけは大きい、松戸のデザイン会社「小さな会社やお店の広告の作り方相談所」の前田です。
恐る恐る始めたこのブログも20記事をなんとか超えることができたので、ネタ枯れしてしまう前にここいらで話題を少し広げてみようかなあと思う今日この頃。で、普段から「地域密着デザイン会社だぜ!」と偉そうに謳っている身としては、地元のお気に入りとかご近所自慢でも書いてみようかと思うわけでございます。
2両編成のローカル線で終点へ
松戸とお隣の流山には流鉄線という「ド」が付くようなローカル鉄道があって、この2両編成の電車(西武からのお下がり車両らしい)にゆられた終点の流山駅周辺は昔の面影を残すとってもレトロで味わい深い街並みです。
その流山駅から(歩いて5~6分くらいかな)近くにあるのが「近藤勇陣屋跡」。
幕末に京の都を震撼させた新撰組が鳥羽伏見の戦いで新政府軍に破れ、甲陽鎮撫隊として甲州で破れ、その後江戸を離れた隊士らが陣を構えた場所です。
流山橋そば。江戸川の丹後の渡し
流山に落ちてくる際に江戸川を渡ったのが「丹後の渡し」だそうで、流山橋の北へ100メートルくらいですかね、北へ行ったあたりに案内が建っています。ここから当時は酒屋だったという陣屋跡までは歩いてすぐの距離。
近藤勇と土方歳三の別れの場所
ここは局長の近藤勇と副長の土方歳三の別れの地として有名なお馴染みのスポットですが、近藤逮捕のいきさつについても、はじめから近藤勇として自首したとか、大久保某と名乗って官軍に何かしらの交渉に出向いたところを近藤の顔を見知った人間が官軍にいてその場で身柄を拘束されたとか、諸説あるみたいですけど本当のところはよくわからないです。
その後、近藤は斬首されて首は京へ。土方は会津から函館へと転戦し戦死、というの運命を辿ったのはみなさまご存知の通り。
さて、この陣屋跡。初めて訪れたのは今から二十数年前のこと。都内の(新撰組好きな)友人がこちらに遊びに来た際に無理やり連れて行かれたのですが、当時は新撰組にも日本史にもまったく興味がなかった私は隣であくびを嚙み殺しなたら付き合ったのを覚えています(恥)。
時は流れて2018年(笑)。すっかり歴史好きの中年になった私にとって、ここはすっかりお気に入りのスポットのひとつになっておりまして、時々ふら~っと訪れているのでございます。
近藤勇陣屋跡
千葉県流山市流山2丁目122-3
幕末ものは本も面白いよ
脚色は多いものの、やっぱり小説が楽しいですね。いくつも読みましたがお約束はこの辺りかな(司馬史観バリバリですけどね)。
というわけで今回はデザインや印刷の話は一切ございませんでしたが、幕末の話で盛り上がりながらデザインや印刷物を作成したいという一風変わった方がいらっしゃいましたら、どうぞ弊社までお気軽にご連絡くださいませ!
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