江戸時代、この辺り東葛地域には「小金牧(こがねまき)」という徳川幕府直轄の広大な放牧場があって、たくさんの軍用の馬が育てられていたそうです。
馬が隣接する民家や田畑に侵入しないようにと、牧と村を分断するための土手を築いたそうで、これを「野馬土手(のまどて)」といいます。
私の実家からの最寄駅が東武野田線の江戸川台駅なんですが、この駅すぐ近くに野馬土手の名残が残っているので、秋晴れの下をちょっくら訪ねてまいりました。
江戸川台福祉会館の裏に残る野馬土手
場所は江戸川台福祉会館の裏。どうでもいいことですが、子供の頃、江戸川台福祉会でよく友達と卓球台を借りて暇を潰したものです。その時はここにこんな歴史の遺構があるなんてことはまったく知りませんでした(笑)。
不自然な地形がドキドキたまらない!
冷静に見ると、駅すぐ近くの商店や住宅街の間に2メートル以上もの土を盛った土手が走っているというのはと~っても不自然な地形ですよね。なんかそれだけてドキドキしちゃいます(笑)。誰も見向きもしないで通り過ぎていきますが…。
ここが残存する土手の端で、道路向かいの江戸川台8号公園方向には土手の名残は何も残ってないです。
さて、野馬土手に沿って歩いてみよう
土手はおとなりの京和ガスの裏から江戸川台浄水場の裏へ向かい、途中道路で分断されながら公園(緑地?)へ続きます。
この緑地は野馬土手を残す目的て整備されたみたいで、緑に囲まれた敷地内の端を初石方向に向かって土手が続きます。ところどころ道路や通路で途切れいますが、高いところでは2メートルくらいの土手がまだ残っていました。いい雰囲気です。
しばらく行くと道路と並走する形になります。この辺りまで来ると土手は低くなり、終端へ。ここまで来ると普通に見ただけでは野馬土手とはわからないんじゃないかと…。
野馬土手を知って長年のモヤモヤが解けた!
ただ、ですね。この道路はもう何十回、何百回と通っている道なんですが、道路と並走するなんかちょっとモッコリ盛り上がった草ボウボウの不自然な存在が何となく気にはなってた場所なんですよ。
これが野馬土手というやつだったとは! 40代になってやっとこさ若い頃の疑問がひとつ解けたわけですから、面白いものです。知らないことなんてまだまだたくさんありますなあ。
もともとは高さ3メートルもあったらしい
野馬土手が作られた当時は、高さ3メートルくらいあったそうです。江戸時代の人間の力だけでこれだけの土を盛って土手を作ったというんですから、それはそれはたいへんな作業です。でもそれだけに軍馬に村を荒らされるという、深刻で逼迫した状況と向き合っていたということなんでしょうね。
さてさて、ここ以外にも東葛地域には野馬土手の遺構がたくさん残っているそうですから、今度はそちらの方も訪ねてみみたいと思います。
野馬土手だけでなく歴史のさまざまな遺構は、開発でどんどん失われていると聞きますが、できる限りこういうものは形を変えずに後の世代まで残してほしいものですね。
というわけで、今回はワタクシの実家近く、流山市江戸川台東に残る「野馬土手」の話でございまして、デザインや印刷とはまったく関係ない記事になってしまいました(笑)。
ご近所の歴史の遺構巡りがお好きで、デザインや印刷物の作成でお困りの方がいらっしゃいましたら(←けっこうこういう人多いかも?)どうぞお気軽にご連絡ください。お待ちしております~!