本日はフラリお散歩には最高な、地元松戸のお気に入りスポットのご紹介を。
東京近郊では珍しい2両編成&単線のスーパーローカル鉄道「流鉄線」の小金城趾駅から数分歩いたところにある「大谷口歴史公園」。
かつて広大な城「小金城」があった
森林浴が気持ちイイ「大谷口歴史公園」は戦国期に現在の東葛地域一帯に勢力を誇っていた豪族である高城胤吉が築いた「小金城(こがねじょう)」跡の一部。
小金城があった位置は、現在の北小金駅付近、新松戸駅付近、小金城址駅付近を結んだあたりのエリア。当時は東西800メートル、南北700メートルもあったそうな。土地勘ある人はご存知でしょうけど、あのあたりは高低差がすごいですよね。あの高台の上はぜ~んぶ城だったということですよ。めちゃくちゃデカイ城だったわけですね。
開発でほとんど失われた遺構
これだけの大きな城だったにもかかわらす、現在はそのほとんどが宅地化されてしまい、往時を偲ぶ面影が皆無なの歴史好きには寂しいところ。
まあこれだけ広い面積をそのまま残すのは難しいとしても「もうちょっとなんとかならんかったのかい!」と憤ってる山城好きの同好の方も少なくないじゃないかと思いますよ。
歴史公園すぐとなり大勝院という寺があるんですが、門前の説明版には、開発行為を実施した(遺構を破壊した)民間業者が名指しで書かれています。歴史を偲ぶ景観が失われていったことに対して同じような憤りの気持ちを感じます(勝手にですが)。
小金城は土木工事で作られた軍事要塞
小金城は「城」とはいっても一般的に連想するような時代劇に出てくるような立派な天守閣がそびえるようなものでは全然ないです。
戦国時代の城は「山城(やまじろ)」といって、城=軍事拠点。
権力や絢爛さを誇る安土桃山期以降の城とはまったく違った性質のもので、「戦争」だけを想定して作られていたので豪華な建物などは一切ありません。
天守閣も建築構造物も何もないわけですからすごーく地味です(笑)。
そもそも山城は建築物じゃないです。土の城です。土を盛った「土塁」、掘った「空堀」など、「土木工事」で作られた難攻不落の要塞のこと(この設計─縄張りともいうんですが─の絶妙さが面白いのですよ)。こんなのが戦国期までは日本中にあったそうです。
戦国期、小金城は北条氏の勢力下にあった
さて、この小金城の主である高城氏ですが、出自は明らかでないものの、戦国期には小田原の北条氏の勢力下にあったといわれてます。
大谷口歴史公園には「畝堀(うねぼり)」というちょっと変わった堀の復元がされていて、これは深く掘った堀の底にさらに畝のような高低差をつけて敵の移動を妨げる仕掛け。
畝堀を使ったのは全国的にも北条氏だけとされていて、この高木氏も北条氏からの軍事技術提供を受けていた(=北条傘下にあった)のではないかとされています。
ちなみに戦国期の「堀」は土を掘っただけの「空堀(からぼり)」が主流。皇居(江戸城)のように水を張った「水堀」が登場するのは時代が下って、(戦が減り)築城を山地ではなく平地で行うようになってからの話になります。
その後の小金城
その後北条氏は豊臣秀吉の小田原攻めに敗れて、代わりに関東にはあの徳川家康が入ってきたのは皆さんご存知の通り。
小金城には高木氏に代わって徳川家の旗本が入ったそうですが、数年後にはもう小金城の役割は終わったということなのでしょうか。廃城になったということです。
小金城で実戦はあった?
小金城で実戦が行われたかどうかについては分かっていないようです。秀吉の小田原攻めの際、豊臣方の浅野長政軍が小金城に向かった(囲んだ?)という記録はあるそうですが、そこで実際に矢弾が飛び交ったのかどうかは……もう空想するしかないですね(笑)。
「山城」が面白くなる本
ところで、あんまり山城に関する書籍ってないんですよね。あっても専門家向けなのばかり。難解すぎて全然面白くない。
でも探せばありましたよ~(笑)。以下は易しく楽しく読める本2選。
もうちょっとガッツリ読みたい人はこちら。これも面白かったよ。
というわけで、また今回もデザインや印刷とは何の関係もないどころか、ちょっとマニアックな方面へ脱線してしまいましたが、弊社の近所にも歴史好きの方が楽しめるスポットがまだまだありますので、戦国期の日本史や山城の話で盛り上がりながらデザインや印刷物の相談をしたいという変わった方がいらっしゃいましたら、どうぞお気軽にご連絡くださいませ!
お待ちしておりま〜す!
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