休日を利用して、 久〜しぶりに城の見物に出かけてまいりました。
行き先は埼玉県の寄居。お好きな方にはこれだけでお分かりですね(笑)。
そう、中世戦国時代の関東の北の要塞「鉢形城」でございます!
朝8時に新松戸を車で出発して、10時半に到着。眼前に山脈がハッキリと見えて、関東平野の端っこまで来たんだなあ〜という感じがします。
鉢形城歴史館の無料駐車場に車を停めて、ペラペラの案内をもらって、ついでに記念スタンプ押して(笑)から、いざスタート。
その前に、鉢形城の基本のキをおさらい
鉢形城は、山内上杉氏の家臣であった長尾景春が築城。その後、北条氏邦が拡充して現在の形になったそうな。
豊臣秀吉の関東攻めの際に、前田・上杉らの北国連合軍5万(←ってどんな数だよ!)の軍勢に囲まれ、1ヶ月余りの籠城の後、城兵の助命を条件に開城。
以降は、徳川家康が関東に入国してその統治下に置かれますが、城としての役割は終えたそうです。
いざ、歩いてみよう
歴史館の脇、深沢川外側の曲輪や馬出しから歩いてみます。とても綺麗に手入れされてますね。ここで野球やサッカーできそう(笑)。内堀として機能している深沢川を見下ろすと足が震えるくらいの断崖絶壁。天然の要塞の凄みなり。
荒川と深沢川が交わる搦手口の笹曲輪には250分の1の復元模型が。以前に見た八王子城の模型と比べるとかなりくたびれてましたが、こういうのがあると嬉しいですな。
城内(園内?)には道路が通ってます(車が通行してます)。で、一番高いところにある本曲輪へ登ってみます。
すぐ北側には荒川が流れてます。断崖絶壁ぶりはさっきの深沢川の比ではありません。ここを登って攻めることができる人類は存在しないでしょう(笑)。
全体が鉢形城公園として城の遺構がしっかりと整備されてますので、城の造りが分かりやすい上に、景観もいいです。二の曲輪脇には桜並木が。ちょっと離れたところには氏邦桜(エドヒガン)なんていうのもありました。春にまた再訪してみたいですね。
二の曲輪と三の曲輪の間の掘です。鉢形城の案内には必ず登場するところ!
きれいに整備されすぎて、なんだかくすぐったい感じもしますが、ここは堀の底まで降りることができるので、ぜひ登り降りをしてみることをオススメします。
三の曲輪には石積みや門なども復元されてたりして雰囲気あります。
ディーゼル列車は来ず…
大手門そばにあるJR八高線の踏切。汽動車の写真を撮れるかな、と思って少し待ってみましたが、列車は来ず…残念。
西からの侵攻に備えた縄張り
鉢形城は、北・東・南を荒川と深沢川に挟まれた天然の要塞です。が、西側の防御が弱いので、こちらに徹底して守りが固められています。
歩いてみるとそれがよく分かります。幾重にも曲輪を配して、堀には水を引き込むなど、これでもか、というくらいの縄張りです。
写真は、ところどころ水が残るおくり泉水。ここにも水を張って敵の侵入に備えたんですね。
左側の高い部分は大手門から入ったところにある逸見曲輪。右側は崖。下には深沢川が流れており、鉄壁な守り!
さらに西方には、堀や土塁などに加えて武家屋敷を多く配置するなどして、敵の侵攻に備えていたそうです。
山城を見るなら冬がいいね
さてさて、山城の見物に行くには冬がおすすめ。理由はこんな感じ。
- 草ボウボウでないので、地面(地形)の状態がよく見える
- 気温が低いので歩き回っても汗をかかない(体が冷えない)
- 虫がいない(←これ、けっこう重要)
逆に夏を想像してもらえば…地獄ですな(笑)。
まあそんなこんなで、冬の間は釣りにも行けないし、山城の見物などを楽しみながら過ごしておる次第でござりまする〜。
鉢形城を築城した長尾景春を描いた小説『叛鬼』
鉢形城を築城した長尾景春を描いた小説です。
伊東潤の関東戦国モノは、ちょっと独特の世界観が気に障ることがあるのですが(笑)、なんだかんだいってお気に入りの一冊。
鉢形城を築城した長尾景春のほかにも、太田道灌とか千葉孝胤とか、岩付(岩槻)とか河越(川越)とか葛西とか、我ら関東人に馴染みのある人物や地名がいっぱい出てきますので、不思議とよく分かった気になれます(笑)。
歴史小説は京大坂など西日本が中心なものが多いですが、関東を舞台にしたものも面白いでっせ〜。
というわけで今回は、100パーセント趣味全開の城見物のお話でございました〜。
一事が万事こんな調子でやっておりますので、弊社ではデザイン制作のお打ち合わせの席での城や歴史の雑談、大歓迎でございます〜(笑)。
それでは、また〜!!!!!